国民的スター長嶋茂雄さんの息子として知られる長嶋一茂さん。
そんな一茂さんと父・茂雄さんとの間に、実は18年もの長きにわたる確執があったことをご存知でしょうか?
そこで今回は、
- 長嶋一茂さんと父の絶縁の経緯と原因
- 商標権争いの詳細と18年間の確執
- 長嶋一茂さんと父の和解への道のり
主にこれらについて迫っていきます。
それでは、早速本題に入りましょう!
長嶋一茂と父の絶縁の経緯と原因

長嶋一茂さんは、現在タレントとして幅広く活躍しています。
そんな多才な一茂さんですが、父との関係には長年苦悩していたようです。
長嶋一茂さんと父・茂雄さんの絶縁のきっかけは、2007年の母・亜希子さんの死去だったと言われています。
亜希子さんは親子の間を取り持つ存在でしたが、その急逝により親子関係に亀裂が入ってしまったのです。
一茂さんは2022年の雑誌『GOETHE』の連載エッセイで「父とは、もう13年会っていない」と告白していました。
さらに、一茂さんはスーパースターの息子として常に比較され、プレッシャーを感じながら生きてきました。
父への憧れと反発、認められたい思いと距離を置きたい気持ちなど、複雑な感情が絶縁の背景にあったと考えられます。
商標権争いの詳細と18年間の確執

一茂さんは、ビジネスの世界でも才能を発揮し、複数の会社を経営しています。
しかし、そんなビジネスセンスが家族との確執を深める一因となってしまいました。
確執を決定的にしたのが、2008年から2010年にかけての「長嶋茂雄」の商標権をめぐる争いでした。
経緯は以下の通りです。
- 1995年: 株式会社オフィスエヌ(長嶋茂雄氏の個人事務所)が12件の商標登録出願
- 2007-2008年: これらの商標登録が更新されずに抹消
- 2008年8月: 有限会社ナガシマ企画(一茂氏の個人事務所)が同様の商標登録出願
- 2009年5月: 登録成立
- 2010年3月: 一茂氏側が自発的に権利放棄
- 2010年8月: 再び株式会社オフィスエヌ(代表は三奈氏)が出願、翌年登録
この商標権問題により、一茂さんと茂雄さん・三奈さんとの対立が深まってしまいました。
2015年の裁判では一茂さんが「もともと長嶋家はバラバラです」と衝撃的な発言をするなど、家族関係の複雑さが浮き彫りになりました。
さらに、家族内の対立構造も明らかになっています。
日刊ゲンダイによると、長嶋茂雄さんの妻・亜希子さんの弟の妻(義理の妹)の存在が大きな影響を与えていたとされています。
この人物は亜希子さん死去後、茂雄氏の身の周りの世話をしており、一茂氏との対立の構図が生まれました。
遺産相続に関しても話題となりました。
週刊文春が報じた「20億円終活」によると、一茂氏は相続放棄を公言し、「母が1人眠るハワイの墓に入りたい」と述べていたとされています。
この発言からも、長嶋家の複雑な家族関係が垣間見えます。
長嶋一茂と父の和解への道のり

一茂さんは、父との関係についても時折触れることがあり、ファンの間で注目を集めていました。
そんな中、父との和解への兆しが見え始めたのです。
2022年9月、茂雄さんが脳内出血で倒れて以降、一茂さんの行動に変化が見られるようになりました。
例年行っていたハワイ旅行を控えるなど、父の容体を気にかける様子が伝えられています。
父の最期には絶対に立ち会うと決めていた
出典:女性自身
茂雄さんの容体が急変した際、一茂さんは病室を訪れました。
意識のない父との再会でしたが、2人にとってかけがえのない時間になったと言われています。
一茂さんは「父親と会話できたのが私の中での最大の思い出」と幼少期を振り返り、最期に”心のキャッチボール”ができたのかもしれません。
まとめ
今回は、長嶋一茂さんと父・長嶋茂雄さんの絶縁の理由、18年に及ぶ確執の経緯、そして最終的な和解についてお伝えしてきました。
長嶋親子の絶縁は、母・亜希子さんの死去をきっかけに始まりました。
これは商標権争いによってより深刻化しました。
しかし、茂雄さんの病状悪化をきっかけに、親子の絆が取り戻されたようです。
18年という長い確執の期間を乗り越え、最後に和解できたことは、多くの人々に感動を与えたに違いありません。
今後も、長嶋家の歩みに注目が集まりそうです。
それでは、ありがとうございました!

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