SUPER EIGHTのメンバーとして活躍し、国民的人気を誇る横山裕さん。
そんな横山さんの生い立ちは、想像を絶するほど壮絶なものだったのをご存知でしょうか。
そこで今回は、
- 横山裕さんの複雑な家庭環境と幼少期
- 横山裕さんと義父親の確執
- 横山裕さんの母親との別れと弟たちへの責任
- 横山裕さんの兄弟愛と現在の心境
主にこれらについて迫っていきます。
それでは、早速本題に入りましょう!
横山裕の複雑な家庭環境と幼少期

横山裕さんは1981年5月9日、大阪府大阪市此花区で生まれました。
本名は横山侯隆(よこやま きみたか)。
そんな横山さんの複雑な生い立ちを、詳しく見ていきましょう。
まず、彼は、わずか3歳の時に両親が離婚しています。
3歳で両親が離婚
出典:smart FLASH
その後、母親に引き取られ、しばらくは母子家庭で過ごします。
5歳の時、母親が再婚し、義父の姓「横山」を名乗ることになりました。
この再婚により、横山さんの家庭環境は更に複雑になります。
義父との間に6歳下の次男(ツトムさん)と8歳下の三男(ミツルさん)が誕生。
経済的にも厳しい状況が続き、母親は料理が苦手でマヨネーズごはんを食べることもあったそうです。
横山裕と義父親の確執

義父との関係は、横山さんにとって大きな試練となりました。
義父となじめなかったのです。
義父から「今日からお父さんと呼びなさい」と言われた時の衝撃を、横山さんは次のように語っています。
「衝撃でした。全然言えなくて、頭をどつかれた。『はよ呼べ』って」
義父となじめなかった横山さんは、4歳頃から団地の2階上に住む祖父母の家に預けられることになります。
さらに、義父からの虐待も受けていたといいます。
小学生時代も義父を受け入れられず、怒られた時には「本当のお父さんじゃないからや」と反発することもありました。
この時期、母親と義父の関係も悪化し、家庭内の雰囲気は更に悪くなっていきました。
横山裕の母親との別れと弟たちへの責任

2004年、関ジャニ∞としてメジャーデビューを果たした横山さん。
しかし、その喜びもつかの間、母親が癌を患います。
親にがんが見つかってしまう。
出典:女性自身
これが原因で義父と離婚することになりました。
2010年5月16日、母親が50歳の若さで急逝。
スーパーマーケットで買い物中に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
当時29歳だった横山さんは、弟2人の父親代わりとなることを決意します。
「弟たちが一人前になるまで絶対に俺が面倒を見る」
母親の死のショックで上の弟が約2年間記憶喪失になるなど、困難な状況が続きましたが、横山さんは弟たちを支え続けました。
2019年のNHKスペシャルで、横山さんはこう語っています。
「やっぱり家族ってきれいごとだけじゃ絶対ないし。本当に大変なことたくさんあったし。でもなんか、それを超える幸せがあるんでしょうね」
横山裕の兄弟愛と現在の心境

横山さんの強い責任感と兄弟愛は、弟たちの人生を支える大きな力となりました。
弟たちに対して、こんな言葉をかけていたそうです。
「嫌なこともあるかもしれないけどグッと耐えろ。乗り越えたら絶対いいことある。だからお前ら、辛いことから逃げず乗り越えろ」
現在、上の弟は結婚し、下の弟は税理士になるなど、それぞれの道を歩んでいます。
横山さんは弟たちの大学進学費用も負担するなど、兄としての役割を果たし続けています。
義父との関係については、まだ複雑な思いを抱えているようですが、最近では「俺に謝ったらオトンも気持ちが楽になるのでは。謝らせてあげたほうがいいのかなって」と、関係修復の可能性も示唆しています。
まとめ
今回は、横山裕さんの壮絶な生い立ちについてお伝えしてきました。
横山裕さんの生い立ちは、3歳での両親の離婚から始まり、義父との確執、母親の早すぎる死など、多くの試練に満ちたものでした。
しかし、横山さんは弟たちへの強い責任感と愛情を持ち続け、「弟たちが一人前になるまで絶対に俺が面倒を見る」と決意し、実行してきました。
この言葉には、壮絶な経験を乗り越えた横山さんの強さと、家族への深い愛情が感じられます。
今後も、横山裕さんの活躍と、家族との絆の深まりに注目が集まりそうです。
それでは、ありがとうございました!

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